役行者と吉野大峯

修験道は日本古来の山岳信仰に仏教や道教などの要素が混ざり成立した日本独自の信仰で、大自然の山での厳しい修行を通じて霊験を得ることを目的としています。飛鳥時代から奈良時代にかけて山岳修行に打ち込んだ役行者は、陰陽道神仙術と密教を日本固有の山岳宗教に取り入れて日本独自の信仰として修験道を確立しました。
修験道の開祖・役行者
役行者は飛鳥時代に葛城山の麓で誕生したとされ、幼名を役小角といいます。7~8世紀に現在の奈良県を中心に活躍した呪術者で、陰陽道神仙術と密教を日本固有の山岳宗教に取り入れて独自の修験道を確立したと言われます。吉野大峰山で日本山岳仏教の本尊である金剛蔵王権現を感得して鬼神を使役するほどの法力を得ましたが、弟子の韓国連広足に誣告されて伊豆大島に流罪となりました。流刑地の伊豆大島では、毎晩富士山へ飛翔して富士山で修行した伝説も残されています。

神変大菩薩尊像
修験道の開祖である役行者は、卓越した法力で各地に伝説を残しましたが、弟子の誣告で伊豆大島に流罪となりました。江戸時代に光格天皇から神変大菩薩の号を賜りました。
金剛蔵王権現の感得
吉野山から山上ヶ岳にかけての一帯は、古くから金の御岳や金峯山と称される聖域でした。役行者は山上ヶ岳で山岳修行を行い、天武天皇元年(672年)に苦行の末に金剛蔵王大権現を感得しました。役行者はその姿を山桜に刻んで、金峯山の山上山下の蔵王堂に祀りました。

大峰山寺境内
役行者が感得した金剛蔵王大権現を祀るために建立した蔵王堂を前身とします。女人禁制の修験道の根本道場で、山上ヶ岳山頂部には蔵王権現が現れた湧出岩があります。

金峯山寺蔵王堂
金峯山の中心伽藍です。高さ34メートルの建物は、東大寺大仏殿に次ぐ木造建築とされています。現在の建物は、文禄元年(1592年)に豊臣秀吉が寄進したものです。
日本第一の霊場
吉野・大峯は、大峰山脈のうち青根ヶ峯までを吉野、それ以南は大峯と呼び、10世紀頃には霊山として中国にもその名が伝わるほど崇敬を集めていました。吉野は古代から山岳信仰の対象で、修験道の隆盛に伴い役行者ゆかりの聖地として重要視されていきました。大峯は修験道の実践的な修行の場として多くの行場やその拠点となる神社仏閣が整備され、それらが大峯奥駈道で結ばれました。
修験道中興の祖・聖宝理源大師
聖宝理源大師は弘法大師空海の実弟・真雅僧正の弟子となり、京都醍醐寺を創建した平安時代前期の名僧です。密教の修行に加えて金剛葛城や大峰山で厳しい修行を積み、修験道中興の祖と称されます。かつて大峰山の阿古滝に大蛇が棲み、大峯行者に危害を加えていました。大蛇退治の勅命を受けた聖宝理源大師が鳥栖山で法螺貝を吹き鳴らすと、その音に誘われた大蛇は大峰山へと向かい、聖宝理源大師は法力で大蛇を鎮めて大峯奥駈道を再び開きました。これ以来、ほら貝を鳴らした鳥栖山は百螺岳と呼ばれるようになりました。

吉野山
古来より日本一の桜の名所として知られます。山全体が世界遺産として登録され、吉野水分神社・金峯神社・金峯山寺・吉水神社などの建造物があります。

吉野水分神社
子授け・安産・子どもの守護神として篤く信仰されており、豊臣秀吉は祈願により秀頼を授かりました。現在の社殿は、慶長9年(1604年)に豊臣秀頼が再建したものです。
歴史上の人物の逃避行
吉野は山深く隠れやすい地形のため、歴史上の人物が逃避行した場所になりました。平安時代末期に源頼朝と対立した源義経は、静御前や武蔵坊弁慶ら側近とともに潜伏しました。鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇は建武の新政を始めましたが、不満を持つ武士をまとめた足利尊氏と対立して京を追われ、吉野を行宮として南朝を開きました。

吉水神社
7世紀中頃に役小角が創建した神社と伝わります。源頼朝に追われた源義経が潜居したほか、14世紀の南北朝時代に後醍醐天皇が南朝の皇居として使用しました。

金峯神社
修験道の行場の拠点である神社でしたが、追手に追われた源義経が社殿の麓にある義経隠れ塔に身を隠しました。源義経は塔の屋根を蹴破り逃げたことから、蹴抜けの塔ともいわれます。
修験道の修行・奥駈
山岳での実践行を重んじる修験道では、山に入り苦行を重ねることを奥駈や峰入りと呼び最も重視しています。吉野からは険しい峰と神社仏閣を結んで尾根筋を伝う大峯奥駈道が熊野三山まで続き、修験者は命がけで修行して擬死再生を体験し、精神的に生まれ変わることができます。

大峯奥駈道
吉野から熊野までの約160キロに渡る修行道です。道中には75カ所の靡と呼ばれる行場があり、古来より貴族や庶民が険しい大峰山脈を巡りました。
大峰山の最高峰
大峰山は日本百名山のひとつで、八経ヶ岳を最高峰としています。古来より修験道の霊場とされ、大峯奥駈道が敷設されています。修験道再興の祖と言われる聖宝理源大師が大峰山に棲みついて修験者を苦しめていた大蛇を護摩の法力で鎮めた場所でもあります。
- 山行日
- 2010/08/15
- 天 候
- 晴れ
- ルート
- 行者環トンネル西口(13:25)~聖法ノ宿跡(14:45)~弥山(15:30)~八経ヶ岳(15:50)~弥山(16:30)~聖法ノ宿跡(17:05)~行者環トンネル西口(18:35)
- 地 図
- 山と高原地図「大台ヶ原 高見・倶留尊山」
- 同行者
- ひめ
- 標 高
- 弥山(1895m)、八経ヶ岳(八剣山、仏教ヶ岳)(1915m)

聖法ノ宿跡
聖宝理源大師は、醍醐寺を開山した弘法大師空海の孫弟子です。役行者を感得して修験道を再興し、大峯山に棲みついていた大蛇を護摩の法力で鎮めました。

弥山
弥山に向かう登山道は緩やかで歩きやすいですが、踏み跡が多くて道迷いしやすいと思います。聖法の宿跡から木段の急登が続きますが、ここを乗り切れば弥山に到着します。

八経ヶ岳
弥山から八経ヶ岳までは30分ほどの道のりで、途中に鹿よけの柵が設けられています。近畿地方で最高峰の山頂は役行者が法華経を埋納したとされ、錫杖が突き刺さります。
