ぶらり歴史旅

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

東かがわ市

香川県東かがわ市の引田の街並み

東かがわ市は⾹川県の東の端に位置しています。南東部は讃岐山脈が連なり、山裾から北部の瀬戸内海にかけて田園風景が広がります。⽇本⼀のシェアを誇る⼿袋、⽇本で初めて養殖に成功したハマチ、伝統の讃岐和三盆糖などで知られています。

概要

面積
152.83km2
人口
27,480人(2022年2月1日)
市の木
市の花
コスモス
地図

歴史

瀬戸内海の海上交通の要衝にあり、戦国時代は四国統一を目指す長宗我部元親と豊臣秀吉軍の仙石秀久が激突するなど戦いが起きました。江戸時代に製法が確立した和三盆は、讃岐三白のひとつとして藩の財政を支えました。両児山の住職らが始めた手袋づくりは、明治時代に機械化して発展して現在は国内生産の9割を占めます。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

縄文時代以前は明らかではありませんが、金毘羅山遺跡で前期の爪型文が施された深鉢や晩期の突帯文系土器が出土しています。弥生時代前期から中期までは小僧遺跡や城泉遺跡で遺物が僅かに認められる程度ですが、後期には成重遺跡や原間遺跡などで大規模集落が営まれ、土壙墓や木管墓なども築造されています。

古墳時代、飛鳥時代

古墳時代前期に秋葉山の南側に前方後円墳の大日山古墳が造営され、秋葉山東部には湊山下古墳が造営されました。北側の尾根には古墳時代中期の前方後円墳である岡前地神社古墳があります。古墳時代中期には原間古墳群に10基以上の円墳が造営され、仲戸東遺跡で埴輪の生産が行われました。

奈良時代、平安時代

律令体制の成立により讃岐国大内郡に属しました。7世紀末には法起寺式伽藍配置の白鳥廃寺が置かれ、白鳥廃寺がある秋葉山の南東麓には高松廃寺が置かれました。

香川県東かがわ市の白鳥廃寺跡

白鳥廃寺跡

7世紀後半に創建した古寺跡で、平安時代に火災で焼失して廃寺となりました。回廊や講堂などが確認され、溝の中から飛鳥時代の古瓦や須恵器の破片が発見されました。

鎌倉時代、南北朝時代

瀬戸内海の主要な港として引田港が発展しました。白鳥神社は武運長久を願う武士たちからの寄進が相次ぎ、地域一帯の精神的支柱として繁栄しました。

香川県東かがわ市の白鳥神社

白鳥神社

日本武尊が白鳥となり降り立った伝説が残る神社です。標高4メートルに満たない御山にあり、白鳥神社では日本一低い山として登山証を発行しています。

室町時代、安土桃山時代

寒川氏が引田城を居城として引田を領有しました。永正4年(1507年)に三好元長らが管領細川政元を誅殺する事件が起こりました。細川氏の家督争いに巻き込まれて阿波三好氏が侵攻し、元亀元年(1570年)に阿波三好氏の矢野駿河守が引田城主となりました。天正11年(1583年)に長宗我部元親が侵攻すると、豊臣秀吉の家臣である仙石秀久と戦いとなりました。豊臣秀吉の四国平定で仙石秀久に讃岐国が与えられましたが、天正15年(1587年)に仙石秀久の改易により生駒正親が引田城に入りました。

香川県東かがわ市の引田城跡

引田城跡

瀬戸内海に突き出た城山の山頂に築かれた城で、戦国時代に攻防戦が繰り広げられました。生駒氏が高松城に拠点を移し、元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となりました。

江戸時代

高松藩主・松平頼真は向山周慶に命じて和三盆の製法を確立して和三盆発祥の地として知られました。和三盆は塩と綿とともに讃岐三白として藩の財政を支えました。引田港が風待ち港として発展すると、18世紀頃から醤油づくりが始まり、両児山の住職らが内職として手袋を作るようになりました。幕末に外国船の来航が増えると、文久3年(1863年)に城山に狼煙場が設けられました。

香川県東かがわ市の宝光寺庭園

宝光寺庭園

宝光寺は平安時代に創建した曹洞宗の寺院です。寺の裏手には池の向こうに庭園があり、江戸時代後期に作庭された枯山水が表現されています。

香川県東かがわ市の讃州井筒屋敷

讃州井筒屋敷

元禄5年(1692年)に創業した井筒屋を営んだ佐野家の屋敷です。佐野家は江戸に醤油を出荷した豪商で、引田醤油を全国に広めた引田御三家のひとつです。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治4年(1871年)の廃藩置県で高松県が置かれ、明治6年(1873年)に愛媛県に編入されたあと、明治21年(1888年)に香川県が設置されました。明治32年(1899年)に棚次辰吉らが績善商会を設立して手袋製造が始まり、現在は手袋生産の9割を占めるまでに発展しました。大正14年(1925年)から鉄道整備が順次進められました。昭和3年(1928年)に野網和三郎が引田の安戸池で、世界で初めてハマチの養殖に成功しました。平成15年(2003年)に東かがわ市が誕生しました。