小浜市

小浜市は福井県の南西部で、日本のほぼ中央に位置します。北は内外海半島、大島半島で囲まれた小浜湾に面する若狭地方にあり、遠く南の山岳地帯に源を発する北川と南川が海岸に細長く走る肥沃な平野を貫流して小浜湾に注いでいます。伝統工芸品の若狭塗や若狭めのうの産地で、若狭塗箸は全国8割のシェアを誇ります。
概要
- 面積
- 233.11km2
- 人口
- 27,196人(2026年1月1日)
- 市の木
- モミジ
- 市の花
- ツツジ
- 地図
歴史
古くから天然の良港として海産物が豊富に獲れ、飛鳥時代から朝廷に食材を献上する御食国となりました。室町時代に若狭武田氏が支配ますが、衰退して織田氏や豊臣氏の支配下となりました。江戸時代に小浜藩が成立して若狭塗などの特産品が生まれました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
縄文時代の人びとは小浜湾に注ぐ北川・南川の両河川により形成された河岸段丘や沖積平野に集落を形成していきました。弥生時代に北部九州からの農耕が伝播し、加茂遺跡などに大規模な集落群が形成されました。

若狭蘇洞門
小浜湾の東側に位置する内外海半島北側の海岸にある海蝕洞で、花崗岩の岩が日本海の荒波で削られて形成しました。昭和9年(1934年)に国の名勝に指定されています。
古墳時代、飛鳥時代
5世紀に北川上流域に位置する上中地域に大規模な古墳が築造され、被葬者は若狭国造の膳臣一族と比定されています。大王家の食膳を司る膳臣の統治により、湾岸各地域では土器製塩が活発に行われるようになり、飛鳥時代から奈良時代にかけて御食国と言われる地盤を形成していきました。

加茂古墳
6世紀後半から7世紀初頭にかけて、加茂区に古墳群が築造されました。このうち加茂北山にある古墳は若狭地方最大の横穴式石室を有する古墳として知られています。

岡津製塩遺跡
古墳時代後期から奈良時代にかけて操業していた製塩遺跡です。石を敷きつめた製塩炉跡が9基見つかり、香川県の喜兵衛島の製塩遺跡と共に国の史跡に指定されました
奈良時代、平安時代
若狭国では遠敷郡に若狭国府が置かれ、周辺地域には湊を媒介とした大陸・半島と奈良・京都との文化交流による信仰社寺等の文化遺産群が形成されました。平安時代になると山を信仰の対象とした神仏習合が進み、地方都市としては群を抜いて信仰遺跡が伝えられています。

若狭国分寺跡
天平13年(741年)に聖武天皇が発出した国分寺造営の詔勅を受けて建造されました。伽藍配置は南大門・中門・金堂・講堂と軸線上に配し、その東に塔が置れていました。
鎌倉時代、南北朝時代
執権である北条氏自身が若狭の守護職を務めましたが、鎌倉幕府が滅亡してから足利氏の最有力氏族である斯波氏や一色氏が統治するなど、室町幕府の実力者が若狭の守護職を得ていました。
室町時代、安土桃山時代
後瀬山周辺に居館を構えた若狭武田氏は、数多くの禅宗寺院を建立・再建するとともに、当代随一の学者らと交流することで領内の芸能を発展させました。日本海と京都を中心とした畿内を結ぶ中継港湾として、泉州堺か若狭小浜かと並び称されるほどの日本を代表する港湾都市となり、南蛮船の来航で日本国王の進物として初めて日本に象が来た地にもなりました。
織豊時代
若狭武田氏が衰退すると越前朝倉氏の庇護を受け、朝倉氏が織田信長に滅ぼされると丹羽長秀が支配しました。織田信長が本能寺の変で討たれて豊臣秀吉が政権を握ると、山内一豊などに領主が入れ替わりました。関ヶ原合戦の功績で若狭国を与えられた京極高次が小浜城を築城して城下町が整備されていきました。

後瀬山城跡
大永2年(1522年)若狭守護武田元光が築城した若狭国主の居城で、天正元年(1573年)に入部した丹羽長秀の補強したあと、現小浜城の築城により廃城となりました。
江戸時代
京極高次が小浜藩を立藩し、寛永12年(1634年)に京極忠高が転封して酒井忠勝が入封しました。酒井家は城下町の文化を発展させ、御用塗師・松浦三十郎が考案した若狭塗を藩の殖産興業として奨励しました。北前船が若狭地方を本拠地としたことで、小浜は敦賀と並んで海運の一大拠点として大いに盛えました。安永3年(1774年)に酒井忠貫が藩校順造館を設立し、国学者の伴信友や梅田雲浜などを輩出しました。

小浜城跡
慶長6年(1601年)に京極高次が築城を始め、寛永13年(1636年)に酒井忠勝が完成させた城で、廃藩置県まで238年間も酒井家が居城としました。

萬徳寺庭園
萬徳寺は小浜藩主京極高次と酒井家の祈願寺でした。江戸時代初めに小浜藩主京極高次が再建し、江戸時代初期に酒井氏が埋石式枯山水庭園の庭園を作庭しました。

円照寺庭園
円照寺本堂の右手にある庭園で、江戸時代初期に造営されました。北面する山麓の傾斜地を巧みに利用して築造された泉鑑賞式庭園です。

龍泉寺庭園
天文10年(1541年)に武田信高が建立した龍泉寺にある庭園で、本堂西側と北東側の2箇所のうち本堂西側の庭園は江戸時代中期に作庭された廻遊式林泉庭園です。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治4年(1871年)に小浜県が設置されてから敦賀県や滋賀県を経て、明治14年(1881年)に福井県に編入されました。明治22年(1889年)には小浜町が生まれ、昭和26年(1951年)に小浜市が誕生しました。大正7年(1918年)に鉄道が敦賀から延伸して小浜駅が開業し、若狭の魚介類を新鮮なまま運ばれるようになりました。
