ぶらり歴史旅

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

度会郡

三重県度会郡の南海展望公園

度会郡は三重県の南東部にあり、東南部は太平洋に面して北西部は紀伊山地が広がります。日本一の水質を誇る宮川とその支流が流れて太平洋に注ぎます。平坦地は極めて少なく、丘陵地と利用した茶や柑橘類などの農産業や松阪牛や玉城豚などの畜産業が盛んです。沿岸部はリアス式海岸を形成し、

概要

面積
651.1km2
人口
40,517人(2022年3月1日)
含む町村
玉城町、度会町、大紀町、南伊勢町
地図

特集

和歌山県田辺市の紀伊山地

紀伊山地の霊場と参詣道

紀伊山地は自然信仰の対象として金峯山、高野山、熊野三山の山岳霊場が生まれました。それぞれの霊場は参詣道で結ばれ、日本の宗教文化の発展に影響を与えました。

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歴史

南朝の重臣・北畠氏が伊勢国司として支配していましたが、織田信長の伊勢侵攻で降伏しました。江戸時代に伊勢参りや熊野詣が活発になると、紀伊藩は参詣路に一里塚や宿場町を整備して大いに賑わいました。明治時代に地租改正に反発する伊勢騒動が広がると、獣医師の山路徳三郎は飢饉と重税で苦しむ農家に食肉用への牛の肥育転換を促し、のちに松坂牛がブランド化してくことになります。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

山崎遺跡や波瀬B遺跡、ヒロサキ遺跡から旧石器時代の石器が出土し、佐八藤波遺跡では旧石器時代から縄文時代にかけての集落跡が見つかりました。縄文時代中期から晩期にかけて森添遺跡で集落が形成し、野添大辻遺跡から縄文時代早期の竪穴住居跡や煙道付炉穴が見つかりました。上ノ山遺跡からは弥生時代の集落跡が見つかりました。

古墳時代、飛鳥時代

5世紀前半から古墳が築造されるようになり、南伊勢町に浅間古墳や日和山古墳、宮山古墳などが築造されました。倭姫命の巡行に随行して皇大神宮(内宮)の禰宜となる荒木田氏が玉城町を開拓したとされます。

三重県度会郡の大平山の躑躅

大平山の躑躅

大平山の山麓には1万株ものつつじが自生する大群落があり、4月中旬~5月上旬に色鮮やかに咲き乱れます。三重県の景勝地に指定されています。

奈良時代、平安時代

天平21年(749年)に度会郡と多気郡が置かれ、伊勢大神宮寺として逢鹿瀬寺が創建しました。

鎌倉時代、南北朝時代

北畠親房が後醍醐天皇の皇子・宗良親王を奉じて進出し、愛洲氏の居城である一ノ瀬城に迎えました。北畠親房は田丸城を築城して拠点とし、建武2年(1335年)に北畠親房の子・北畠顕能が伊勢国司となりました。

室町時代、安土桃山時代

永禄10年(1567年)に織田信長が伊勢進攻をはじめ、永禄12年(1569年)に織田信長は次男・織田信雄を北畠氏の養子とすることで和睦を図りました。天正8年(1580年)に織田信雄は松ヶ島城へ移りますが、本能寺の変のあと羽柴秀吉方の蒲生氏郷らが松ヶ島城を攻略し、田丸城には田丸直昌や稲葉重通が入りました。愛洲一族の愛洲移香斎は日向国の岩窟で剣術修行を行い剣術・影流を会得したとされます。陰流は柳生新陰流などの流派に分かれていき、愛洲移香斎は剣祖と呼ばれるようになりました。

三重県度会郡の五ヶ所城附愛州氏居館跡及墳墓

五ヶ所城附愛州氏居館跡及墳墓

康永年間(1342~45年)に愛洲氏が五ヶ所浦の東方の城山に築いた城で、城の南方には居館跡があります。城の南東にある25基の五輪塔は愛洲氏の墳墓と伝わります。

三重県度会郡の田丸城跡

田丸城跡

延元元年(1336年)に北畠親房が築城し、天正3年(1575年)に織田信長の伊勢侵攻に伴い、北畠氏を継いだ織田信雄が城主となり三層の天守を築きました。

江戸時代

元和3年(1617年)に津城主藤堂高虎が田丸領を支配し、元和5年(1619年)に紀州徳川藩領となり家老の久野氏が田丸城主となりました。伊勢参りや熊野詣が盛んに行われるようになり、多くの参詣者で賑わうようになりました。宝永4年(1707年)と嘉永7年(1854年)の大地震による津波で大きな被害を受けました。寛保2年(1742年)に奥熊野一帯に重税が課せられて百姓一揆が起こりました。

三重県度会郡の大内山の一里塚

大内山の一里塚

大内山川ちかくにある一里塚で、かつては樹齢300年を超える松の巨木が立ちましたが、2度枯死したため三代目の幼木が植えられています。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治4年(1871年)の廃藩置県で度会県となり、明治9年(1876年)に三重県の管轄となりました。明治9年(1876年)に飯野郡で地租改正に反対する一揆が発生し、各地に波及して伊勢騒動となりました。獣医師の山路徳三郎は飢饉と重税で苦しむ農家に農耕用から食肉用への牛の肥育転換を促し、明治10年(1877年)から牛肉の需要が拡大した関東へ松坂牛が輸送され、松坂牛がブランド化していく礎が築かれました。

熊野参詣道(伊勢路)

紀伊半島東岸を南下する道で、主に東国から熊野三山を目指す参詣者が使用しました。江戸時代に伊勢神宮への参詣と青岸渡寺を一番札所とする西国巡礼が盛んになり多くの人が利用するようになりました。

三重県度会郡の熊野参詣道(石仏庵)

石仏庵

文政8年(1825年)に三河国の和尚の隠居寺として草創されたという尼寺で、西国三十三所の観音を模した石仏が33体祀られています。