三好市

三好市は徳島県西端で四国のほぼ中央に位置し、四国4県すべてに接するため四国のヘソと言われます。吉野川の激流で大歩危小歩危や祖谷渓の渓谷美が生まれ、四国第二の高峰である剣山があるなど自然豊かな土地です。平家落人伝説に由来して祖谷かずら橋などの歴史的文化遺産があり、江戸時代から山間部を利用して葉タバコが栽培されるようになりました。
概要
- 面積
- 721.42km2
- 人口
- 22,950人(2021年10月1日)
- 市の木
- もみじ
- 市の花
- さぎそう
- 市の鳥
- めじろ
- 地図
歴史
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
太古から人が住んでいた痕跡がみられ、吉野川流域の段丘にある東上野遺跡、洞草遺跡、新山遺跡で旧石器時代のナイフ形石器や石鏃が発見されています。弥生時代後期の加茂野宮遺跡や井出上遺跡では徳島東部や香川、岡山地域の土器が発掘されており、西祖谷山村榎の鉾神社に収められた銅鐸には高知県東部に分布する銅鐸と関連が認められるなど、各地とのつながりがありました。

大歩危小歩危
関東から九州まで日本列島を縦断して分布する三波川変成岩が見られます。三波川変成岩は海洋プレートに沈み込んだ土砂などが地中深くに押し込まれて再結晶したものです。
古墳時代、飛鳥時代
吉野川を通じた物流の中継点となり、加茂野宮遺跡などに集落が形成しました。吉野川北岸の河岸段丘を中心に新山鵠巣塚穴古墳などの古墳が造営されました。
奈良時代、平安時代
皇極天皇4年(645年)の大化の改新により天皇を中心とする中央集権国家を目指す改革が始まり、粟国が置かれて国司が派遣されました。和銅6年(713年)に元明天皇が国ごとに風土記の編集を命じた際、粟国に阿波国の字があてられたと伝えられています。阿波国の発足に合わせて美馬郡が設置され、貞観2年(860年)に美馬郡から西部の三津郷、三野郷、三縄郷が分割されて三好郡が生まれました。
奥祖谷の平家落人伝説
四国山地で最も奥深い日本三大秘境のひとつ祖谷渓は、平家落人の落人が逃れ住んだと伝えられています。屋島の戦いに敗れた平国盛が幼い安徳天皇とともに祖谷に逃れ、平家再興の望みをつないだとされる伝承が残されています。祖谷渓に住む人びとは痩せた山の斜面で蕎麦やたばこ、麦などを栽培してきましたが、村での生活は過酷を極めたため明治時代以降は長年住み慣れた村を多くの人が離れたようです。

阿波遍路道(雲辺寺道)
雲辺寺は阿讃山脈の雲辺寺山にあり、四国霊場中最高峰に位置することから遍路ころがしと呼ばれる難所とされていました。現在は麓からロープウェイで気軽に登る事ができます。

落合集落
祖谷川と落合川の合流点より山の斜面に広がる集落です。祖谷地方には屋島の戦いに敗れた平国盛と安徳天皇が土着した平家の落人伝説や開拓伝承などが残されています。

奥祖谷二重かずら橋
シラクチカズラ(サルナシ)を使う吊り橋で、平家一族が剣山の平家の馬場に通うために架けたと言われ、敵が来たらすぐに切り落とすことができました。
鎌倉時代、南北朝時代
鎌倉時代になると国司に代わり守護、郡司に代わり地頭が配置されました。承久3年(1221年)の承久の乱の後、信濃の小笠原氏が佐々木氏に代わり阿波の守護職として入国し、その一族は上野に池田城(大西城)を築城したとされています。南北朝時代には祖谷山を含む吉野川流域に各勢力が入り不安定になりました。
室町時代、安土桃山時代
小笠原氏や白地大西氏は北朝方の細川氏に反旗を翻しますが、やがて三好姓と改めて細川氏に仕えて安定しました。応仁元年(1467年)に始まる応仁の乱が全国に拡大すると、三好郡の軍勢も細川氏や三好氏の郎党として畿内に向かいました。やがて中央の覇権争いで細川氏が弱体化すると、各地の領主が侵略して戦乱となりました。天正5年(1577年)に土佐の長宗我部氏が白地城を攻め滅しますが、天正13年(1585年)に長宗我部氏も豊臣氏の四国侵攻に遭い、蜂須賀氏が阿波国を支配することになりました。
江戸時代
蜂須賀氏は領内の要地に本城を守るための支城を置いて武将を配置し、土豪に圧力をかけつつ隣境防護にあたらせました。阿波九城のひとつ池田城には牛田氏、中村氏が城代となりました。元和元年(1615年)の一国一城令により、寛永15年(1638年)に池田城は廃城となりますが、国境警備の要所の地であるため陣屋が置かれました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治2年(1869年)の版籍奉還で徳島藩は朝廷の一藩となりました。吉野川流域で栽培される阿波葉を原料とした刻みたばこが全国的に有名となり、明治37年(1904年)の煙草専売法により政府の巨大な工場が設置されました。物資輸送の中心は吉野川の水運でしたが、大正3年(1914年)に阿波池田駅が開業して鉄道による高速輸送が可能となりました。大正時代になると三縄鉱山、祖谷鉱山、腕鉱山、大谷鉱山、向陽鉱山、小島鉱山、菅生鉱山、井ノ内鉱山が開発され主に銅が産出されました。昭和50年(1975年)に池田ダムが完成するなど四国の水資源を担うようになり、平成18年(2006年)に6町村が合併して三好市が誕生しました。

小便小僧
地元の子どもたちが岩端で度胸試しをしたことに因み、昭和43年(1968年)に大歩危峡のシンボルとして高低差200メートルの断崖絶壁に設置されました。
平家の落人と剣山
剣山は祖谷秘境の奥地にある徳島県の最高峰で、白山以西の西日本では石鎚山に次ぐ第二の高峰です。日本百名山にも選定されています。古くから山岳信仰の対象とされ山域には修験道の行場があり、現在も伝統ある神事や行事が行われています。ユダヤの失われたアークが眠る伝説まであります。
- 山行日
- 2008/10/12
- 天 候
- 晴れ
- ルート
- 見の越(09:30)~西島駅(10:05)~御神水(10:20)~剣山(10:45)~刀掛け松(11:50)~西島駅(12:00)~見の越(12:20)
- 地 図
- 山と高原地図「石鎚・四国剣山」
- 同行者
- ひめ
- 標 高
- 剣山(1955m)

剣山
屋島の戦いに敗れた平家の落人とともに落ち延びた安徳天皇が、平家再興を願い三種の神器のひとつ草薙剣を納めたことから名付けられたとされます。

刀掛の松
安徳天皇が剣山に宝剣を納めるために登山した際、宝剣を持つ従者を気遣い松の枝に宝剣をかけて汗を拭うよう気使われた伝承が残ります。

大剣神社
大剣神社は天地一切の悪縁を絶ち、現生最高の良縁を結ぶ神社とされ、背後に聳える剣のような御塔石を御神体としています。御塔石から剣山と呼ばれるようになった説もあります。

剣山山頂
剣山という山名とは異なり山頂は平坦で広いです。山頂にある一等三角点は石積で守られており、石積が崩れないようにしめ縄が張られています。
