ぶらり歴史旅

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

吉野川市

徳島県吉野川市の川島潜水橋

吉野川市は徳島県北部に位置し、吉野川の南岸に位置します。温暖で雨が少ない地域で、南部は四国山地が連なります。吉野川には日本最大と言われる無人の川中島である善入寺島があり、豊かな農作物が収穫されます。吉野川の流域はホタルが生息することで知られ、伝統的な手漉きの阿波和紙が製造されています。美郷地区は地元で生産された梅を使用した梅酒が人気です。

概要

面積
144.14km2
人口
37,920人(2022年2月1日)
市の木
オンツツジ
市の花
キク
市の鳥
カワセミ
地図

歴史

吉野川市の歴史は、四国三郎と呼ばれる日本三大暴れ川のひとつ吉野川とともに発展しました。阿波忌部氏により始められた阿波和紙は、奈良時代にはすでに製造が行われ、明治時代に最盛期を迎えました。江戸時代に始められた藍染料は日本一の産地となり、明治時代に最盛期を迎えています。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

吉野川流域では旧石器時代から人の営みが残されています。縄文時代の遺跡は徳島県で確認されている7割を占めています。弥生時代には森山三谷遺跡から多数の弥生式土器が出土し、飯尾丸山遺跡や西麻植東禅寺遺跡などから土器や石器が出土しています。

古墳時代、飛鳥時代

粟国と長国の2国を併せて阿波国となり、大和王権の朝廷祭祀を担当した忌部氏に奉仕した阿波忌部が支配したことで、忌部氏の祖神である天日鷲命が麻を植えて開拓したことから麻植郡となりました。6世紀後半に忌部山の中腹に造営された5基の円墳からなる忌部山古墳群は、阿波忌部との関係が示唆されています。

奈良時代、平安時代

奈良時代に呉の国からの渡来人が養蚕、製糸、織物指導した伝承が残されています。平安時代には弘法大師空海が藤井寺や報恩寺を開基しました。文治2年(1186年)に平康頼が麻殖保司となり、翌年には玉林寺を創建したと伝えられます。

徳島県吉野川市の河辺寺跡

河辺寺跡

四国山地の山沿いに位置する古代寺院です。金堂跡の礎石が見つかり、出土した瓦などの遺物から8世紀に創建したことが分かりました。

徳島県吉野川市の川島廃寺跡

川島廃寺跡

川島駅前にあると伝えられる古代寺院で、法起寺式の伽藍配置と考えられています。軒丸瓦等の瓦が多数発見されており、奈良時代以後の創建の可能性が指摘されています。

鎌倉時代、南北朝時代

承久3年(1221年)の承久の乱で平康頼の子・平清基が公家方に与したため麻殖保司を失い、阿波国守護代となる小笠原長経が麻殖荘の地頭を兼ねました。

室町時代、安土桃山時代

三好元長が主君細川晴元の謀略により討死すると、三好長慶ら三好衆は阿波へ落ち延びて阿波細川氏の細川持隆に保護されました。篠原長房は細川持隆に仕えた三好実休の重臣となり戦功を挙げ、天文22年(1553年)に三好実休が細川持隆を殺害して阿波を掌握すると、篠原長房が上桜城城主となりました。天正10年(1582年)に長宗我部元親が侵攻して中富川の戦いが起きましたが、天正13年(1587年)に豊臣秀吉の四国征伐により蜂須賀家政が阿波国に入りました。

上桜合戦

永禄5年(1562年)の久米田合戦で三好実休が討死すると、篠原長房は三好長慶、三好長逸、三好長治と仕えました。篠原長房の弟・篠原自遁は三好実休の未亡人である小少将と不倫関係にあり、二人を諫めた篠原長房は篠原自遁から疎んじられました。元亀4年(1573年)に篠原自遁の讒言を受け入れた三好長治と阿波守護・細川真之らは上桜城を攻め、篠原長房は討ち滅ぼされました。

徳島県吉野川市の上桜城跡

上桜城跡

16世紀に三好氏家臣の篠原長房が居城としていました。篠原長房は主君の三好氏に攻められて城兵全員とともに戦死しました。城跡には現在も曲輪跡などの遺構が残されています。

徳島県吉野川市の川島城跡

川島城跡

天正年間初期に川島惟忠が築城したとされる阿波九城のひとつです。上桜城の戦いで篠原長房が討ち滅ぼされると、川島惟忠は上桜城を廃止して川島城を築きました。

江戸時代

吉野川の流域は藍染料の日本一の産地であり、蜂須賀家政は藍栽培を推奨しました。吉野川流域には藍染料を担う藍師や藍商人が住むようになり、徳島藩の奉行所が置かれました。宝暦6年(1756年)に大洪水が起こり大きな被害を受け、度重なる凶作により百姓一揆の五社宮事件が起こりました。天明5年(1785年)には凶作を直訴したとして飯尾の弥五郎が処刑されました。天保8年(1837年)や弘化3年(1846年)など吉野川の大洪水で大きな被害を受けました。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治3年(1870年)の庚午事変(稲田騒動)で飯尾小原の滝直太郎が日本最後となる切腹をしています。明治4年(1871年)に徳島県が名東県に改称され、明治9年(1876年)に阿波が高知県、淡路が兵庫県に合併し、明治13年(1880年)に高知県から分離して徳島県となりました。明治末期から高越鉱山や東山鉱山で銅の採掘が始められ、昭和時代まで採掘が行われました。大正2年(1913年)の吉野川改修工事で善入寺島から移転が始まりました。昭和6年(1931年)に開園した江川遊園地は、昭和44年(1969年)に吉野川遊園地と改称したのち、平成23年(2011年)まで営業しました。平成16年(2004年)に麻植郡鴨島町、川島町、山川町、美郷村の4つの町と村が合併して吉野川市が誕生しました。

徳島県吉野川市の川島神社

川島神社

大正4年(1915年)の吉野川の改修工事により善入寺島から住民が立ち退きする際、島内にあった浮島八幡宮など旧川島町内の43社の神社が合祀されて創建しました。