ぶらり歴史旅

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

呉市

広島県呉市の呉港

呉市は瀬戸内海の中央部で広島県の南西部に位置し、内陸部の丘陵と瀬戸内海に面する沿岸部および島嶼部で構成されます。温暖で多照少雨の瀬戸内海式気候であり、平坦地が少なく起伏が大きい地形は急流する河川が渓谷を形成しています。明治時代に呉鎮守府や呉海軍工廠が置かれて東洋一の軍港として栄えたことから、造船や鉄鋼などを中心とした臨海工業都市として発展しました。

概要

面積
352.80km2
人口
209,470人(2021年9月1日)
市の木
かし
市の花
つばき
地図

歴史

呉浦と呼ばれていた半農半漁の村落は、明治時代に呉鎮守府が開府して呉海軍工廠が設置されて軍港都市として発展していきました。アジア太平洋戦争の空襲で壊滅的な被害を受けましたが、海軍の熟練した技術者が活躍して造船や鉄鋼、機械金属を中心とした平和産業港湾都市として復興しました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

情島旧石器時代遺跡の存在により2万年以上前から人が生活していたことが知られています。郷原遺跡や芦冠遺跡から多様な縄文時代の石器類や板状土偶などの遺物が確認され、広町横路や吉浦潭鼓町から弥生式土器の破片が出土しています。

古墳時代、飛鳥時代

沿岸部や島嶼部を中心に池浜古墳や情島古墳など多くの古墳が造営されました。沖浦遺跡などの海浜部の遺跡からは製塩に関する土器などが発見されており、豊富な海洋資源を求めて人びとが根付きました。

奈良時代、平安時代

律令体制の整備で安芸郡に属しました。呉市域の海域は古代から交通の要衝で、遣新羅使が倉橋に停泊したときの歌が万葉集にも収録されています。亀ヶ首遺跡からは枝銭の状態の和同開珎が出土しており、航海の安全を祈り祭祀が行われたと考えられています。平清盛は音戸瀬戸を開削し、警固屋に見張りの小屋が建てられたとされます。

広島県呉市の万葉集遺跡長門島松原(桂濱神社境内)

万葉集遺跡長門島松原

天平8年(736年)に派遣された遣新羅使は長門島に立ち寄り、安芸国長門島船泊磯辺作歌5首と従長門浦舶出之夜仰観月光作歌3首が詠われました。

広島県呉市の伝清盛塚

伝清盛塚

音戸の瀬戸を切り開いたといわれる平清盛が人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めて工事を完成させ、元暦元年(1184年)に供養のために清盛塚が建立されました。

鎌倉時代、南北朝時代

鎌倉時代後期になると呉などの芸南地方の島嶼では小領主が伊予衆と結んで支配権を掌握しようとしました。鎌倉幕府が崩壊すると多賀谷氏が蒲刈や倉橋を支配下に置きますが、南朝方の海賊勢力が蒲刈島を没収するなど混乱が続きました。こうした混乱で山本氏、檜垣氏、警固屋氏らによる呉衆が形成されました。

室町時代、安土桃山時代

呉衆や能美氏、蒲刈を本拠とする多賀谷氏は三ヶ島衆と呼ばれ、大内氏直属の海賊として各地で転戦しました。倉橋多賀谷氏は丸小山城、蒲刈多賀谷氏は丸屋城を拠点とし、山本氏の和庄杉迫城、檜垣氏の竜王山城、警固屋氏の堀城、野間氏の吉浦堀城、野間氏の掃部城などが築かれました。毛利氏が呉衆や野間氏を攻めたことで呉地方の大半は小早川隆景の領地となり、三ヶ島衆は陶氏の白井賢胤の指揮下に入りました。天正3年(1575年)の石山合戦では呉の末永景道や仁方の白井縫殿助らが小早川水軍として参加しています。

広島県呉市の丸子山城跡

丸子山城跡

室町時代に倉橋多賀谷氏が築城した水軍城で、内郭を形成する本丸、二の丸、三の丸がその腰郭とともに極めて良好に保存されてています。

江戸時代

伝統的な産業として木造船建造があり、厳島神社管弦祭の御座船が建造されて奉納されてきました。18世紀中頃には完成していた桂浜乾式ドック跡は、入江を改修して建造された日本最古の乾式船渠と言われています。蒲刈島の三ノ瀬は広島藩主の福島正則が海駅に指定し、本陣や番所などが整備されました。御手洗や鹿老渡は潮待ちや風待ちの港として栄えました。

広島県呉市の蒲刈島御番所跡

蒲刈島御番所跡

蒲刈島・三ノ瀬は内海航路の要衝で、福島正則はに海駅を設けました。広島藩を引き継いだ浅野氏は藩の繋船場として番所を整備して通航する船舶の監視を行いました。

広島県呉市の三ノ瀬御本陣跡

三ノ瀬御本陣跡

蒲刈島・三ノ瀬に浅野氏が設けた本陣のお茶屋跡です。三ノ瀬は潮流が複雑なことで知られ、参勤交代を行う西国大名や各国使節もここに訪れました。

広島県呉市の三ノ瀬朝鮮信使宿館跡

三ノ瀬朝鮮信使宿館跡

慶長12年(1607年)から文化8年(1811年)までの12回にわたり派遣された朝鮮通信使は、瀬戸内海を船で往復する途中の蒲刈島の三ノ瀬でよく宿泊しました。

広島県呉市の若胡子屋跡

若胡子屋跡

若胡子屋は周防上関から御手洗へ遊女商売の出稼ぎを行いましたが、享保9年(1724年)に広島藩から茶屋営業許可を受けて店舗を構えました。

広島県呉市の大浜の社倉

大浜の社倉

安永8年(1779年)に広島藩が飢饉に備えて設置させた穀物倉庫です。享保17年(1732年)の大飢饉で大きな被害がでたことを受けて各地に建てられました。

広島県呉市の石泉文庫及塾・僧叡之墓

石泉文庫及塾・僧叡之墓

石泉僧叡和上の私塾・石泉寮跡で、石泉文庫には各宗派高僧の書物などが納められています。文政9年(1826年)に石泉僧叡和上は亡くなり、経堂脇の墓地に葬られました。

広島県呉市の御手洗七卿落遺跡

御手洗七卿落遺跡

17世紀末に吉名(現竹原市)から御手洗へ移住してきた竹原屋の邸宅です。元治元年(1864年)の蛤御門の変で長州へ落ち延びる倒幕派公卿5名が宿泊しました。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治22年(1889年)に呉鎮守府が開府し、明治36年(1903年)には呉海軍工廠が設置されました。明治35年(1902年)に誕生した呉市は、昭和31年(1956年)までに合併を繰り返して現在の市域となりました。昭和16年(1941年)に戦艦・大和が建造されるなど東洋一の軍港、日本一の海軍工廠の街として栄えましたが、戦時中は空襲の標的となり14度の空襲を受けました。終戦で解体された海軍の熟練した技術者が活躍し、造船や鉄鋼、機械金属を中心とした平和産業港湾都市として復興を遂げました。

広島県呉市の大和ミュージアム

大和ミュージアム

呉市の軍艦建造や製鉄業を中心に展示する博物館で、平成17年(2005年)に開館しました。10分の1スケールの戦艦・大和の模型が博物館のシンボルとして展示されています。

広島県呉市の鉄のくじら館

鉄のくじら館

海上自衛隊の活動などが展示されている資料館です。平成16年(2004年)に解役した潜水艦あきしおが使用されており、潜望鏡やコクピットなどを見学することができます。