ぶらり歴史旅

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

宇治市

京都府宇治市の宇治橋

宇治市は京都盆地の東南部に位置し、東部の醍醐山地、中部の山麓丘陵地、西部の沖積低地で構成されます。市域を淀川とも呼ばれる宇治川が流れ、宇治川の川霧は宇治の風雅として和歌にも詠まれています。湿度の高い気候は宇治の代表的な産業である茶の生育条件にも適しているとされます。

概要

面積
67.54km2
人口
178,172人(2021年11月1日)
市の木
もみじ
市の花
やまぶき
市の鳥
カワセミ
市の宝木
ちゃの木
地図

歴史

奈良・京都・滋賀を結ぶ水陸交通の要衝で、万葉集や平家物語など数多くの文学に登場し、源氏物語の第三部・宇治十帖の舞台になりました。藤原道長が別荘地として整備し、その子・藤原頼通が平等院鳳凰堂を建立しました。織田信長や豊臣秀吉の庇護のもとで宇治は高級茶の産地としての地位を確立しました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

旧石器時代から縄文時代の遺跡は明確な遺構は確認されていませんが、宇治川右岸の地域で旧石器時代後期の遺物が確認されています。弥生時代中期には乙方遺跡に集落跡と方形周溝墓が形成し、弥生時代後期には羽戸山遺跡に集落跡が形成しました。

古墳時代、飛鳥時代

古墳時代前期から中期にかけて観音山古墳を皮切りに宇治川右岸の丘陵に多くの古墳が造営されました。飛鳥時代になると宇治川右岸で窯業生産が始まりました。5世紀前半に大和政権が基盤を固めていくと、応神天皇の皇子・菟道稚郎子の離宮が築造されたと言われています。菟道稚郎子は皇位を兄の仁徳天皇に譲るため自ら命を絶ちました。

京都府宇治市の宇治古墳群

宇治古墳群

醍醐山地から発する丘陵及び扇状地上に立地する5基の古墳からなる古墳群で、観音山古墳を皮切りに二子山古墳北墳・南墳、瓦塚古墳、二子塚古墳と続きます。

京都府宇治市の隼上り瓦窯跡

隼上り瓦窯跡

7世紀後半の飛鳥時代の窯跡で、4基の窯跡が見つかりました。作られた瓦は奈良県にある蘇我氏が建立した豊浦寺や京都市の北野廃寺に運ばれています。

奈良時代、平安時代

大化2年(646年)に宇治橋が架けられて、奈良・京都・滋賀を結ぶ水陸交通の要衝となりました。万葉集や平家物語など数多くの文学に登場し、源氏物語の第三部・宇治十帖の舞台になりました。平安時代に栄華を極めた藤原氏の別荘地となり、極楽浄土をこの世に具現しようとした平等院鳳凰堂が建立したほか、康和4年(1102年)には藤原頼通の娘・藤原寛子が白川別所金色院を建立しました。

源平合戦

治承4年(1180年)に以仁王による平家打倒の令旨を受け、源頼政らが宇治橋で平家と戦いました。源頼政は平家に敗北して自害しますが、各地で源氏が蜂起して木曽義仲が京に入りました。木曽義仲の兵は京都で狼藉を働いたため、寿永3年(1184年)に後白河法皇の命を受けた源義経は木曽義仲討伐の兵を挙げました。両軍は宇治川で戦いとなり、源義経方の佐々木高綱と梶原景季が先陣を競いました。

京都府宇治市の宇治山

宇治山

宇治山は仏徳山を最高峰として朝日山など丘陵が連なります。優れた名勝地として知られ、藤原公実などの貴族が詠んだ秀歌は古今和歌集などに納められています。

京都府宇治市の宇治の文化的景観

宇治の文化的景観

飛鳥時代に急流宇治川に橋が架けられ、平安時代に貴族により町づくりが行われました。周囲には名声を博した宇治茶を生産する独特の茶園が点在しています。

京都府宇治市の平等院庭園

平等院庭園

長徳4年(998年)に嵯峨天皇の皇子・源融が建てた宇治院が藤原道長に譲られて宇治殿となり、天喜元年(1053年)に藤原頼通が平等院に改めました。

京都府宇治市の宇治上神社

宇治上神社

平等院の鎮守社として、藤原頼通が建立されたと伝わります。本殿は日本最古の神社建築で、境内には宇治七名水のひとつである桐原水が今も湧いています。

鎌倉時代、南北朝時代

武士の台頭で藤原氏が宇治から退転していきました。承久3年(1221年)の承久の乱では、鎌倉幕府が宇治橋の戦いで勝利して公家に対して優位な立場が決定的となりました。建武3年(1336年)には楠木正成が戦いで宇治も戦禍に巻き込まれました。13世紀前半に栂尾高山寺の明恵により宇治に茶が伝えられ、宇治茶は高級茶として珍重されました。織田信長や豊臣秀吉の庇護のもと宇治はその産地として名声をあげていきます。

室町時代、安土桃山時代

応仁元年(1467年)に始まる応仁の乱から宇治川の周辺では幾多の戦乱が繰り返されました。畠山政長と畠山義就の争いが長引くと、文明17年(1485年)に山城の国人が集まり山城国一揆を起こしました。国人衆は惣国と呼ばれる民主的な自治を8年近く行い、日本で初めて自治を実現したと言われています。元亀4年(1573年)に足利義昭が槇島城で織田信長に降伏して室町幕府が滅亡して安土桃山時代を迎え、文禄3年(1594年)に伏見城が完成すると、豊臣秀吉は宇治川の築堤工事を完成させました。

京都府宇治市の興聖寺庭園及び琴坂

興聖寺庭園及び琴坂

寛元元年(1243年)に宋から帰国した曹洞宗の開祖・道元禅師が創建した寺院で、相次ぐ反乱に追われた室町将軍足利義晴と足利義輝が数年間滞在した居館の庭園です。

京都府宇治市の宇治川太閤堤跡

宇治川太閤堤跡

文禄3年(1594年)に伏見城を築城した豊臣秀吉が伏見城下を水陸交通の拠点にするため、前田利家や徳川家康ら諸大名に命じて宇治川と巨椋池に作らせた堤です。

江戸時代

茶の消費が増えて茶畑が広がり、宇治で生産される茶は高級茶として地位を確立しました。茶の生産から加工流通全般にかかわる宇治茶師は、特権的身分として御物茶師・御袋茶師・御通茶師などに階層化され、茶師の筆頭である茶頭取は宇治代官をも務めました。庶民の社寺参詣が流行して宇治橋近くの川岸には旅館が立ち並び、宇治川の舟遊びは名物のひとつとなりました。

京都府宇治市の養林庵書院庭園

養林庵書院庭園

江戸時代初期に建立された養林庵書院にある庭園です。細川忠興(三斎)が築造したとされる枯山水庭園は、京都府名勝庭園に登録されています。

京都府宇治市の淀藩主永井家墓所

淀藩主永井家墓所

天福元年(1233年)に道元禅師が創建した興聖寺にあります。慶安元年(1648年)に淀藩主永井尚政が再興に着手し、永井家歴代当主の宝篋印塔が整備されました。

京都府宇治市の萬福寺境内

萬福寺境内

承応3年(1654年)に渡来した中国の高僧・隠元隆琦禅師が開創した黄檗宗の大本山です。4代将軍・徳川家綱の帰依を受けて宇治に寺地を下賜されました。

京都府宇治市の上林春松家庭園

上林春松家庭園

上林春松家は幕府や諸大名の御用御茶師を勤めた老舗茶舗で、長屋門を活かした宇治・上林記念館には製茶道具、豊臣秀吉や古田織部などの書状などが展示されています。

京都府宇治市の中村藤吉家庭園

中村藤吉家庭園

安政元年(1854年)に創業した中村藤吉は老舗茶商です。主屋や旧焙炉場などが残されており、主屋の奥に⽔琴窟を持つ中庭や茶室が残されています。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治元年(1868年)に京都府が置かれてから幾度も行政区画の変遷を経て、昭和26年(1951年)に宇治市が誕生しました。大正14年(1925年)に京都府茶業研究所が設立して宇治茶製法の改良や茶樹の品質改良が推進されました。明治29年(1896年)の奈良鉄道を皮切りに京阪電鉄宇治線、奈良電鉄などの交通網が整備されました。昭和28年(1953年)に京都南部が大水害に見舞われると、昭和39年(1964年)に天ヶ瀬ダムが建設されました。