綾部市

綾部市は京都府の中央北寄りに位置する山間部の田園都市です。美しい自然環境や豊かな里山があり、市域を由良川が大きく蛇行しながら貫流します。京阪神地域と日本海地域をつなぐ交通の要衝地で、黒谷和紙や良質なお茶の産地として知られています。
概要
- 面積
- 347.10km2
- 人口
- 31,297人(2022年2月1日)
- 市の木
- マツ
- 市の花
- ウメ
- 市の鳥
- いかる
- 地図
歴史
綾織りを職とする漢部(あやべ)一族が住したことから丹波国漢部郷と呼ばれ、江戸時代に漢部が綾部に転じました。室町幕府を開いた足利尊氏の出生の地とも言われ、現グンゼの創始者である波多野鶴吉の故郷でもあります。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
綾部市の人の痕跡は古くからあり、以久田野遺跡・西原遺跡・旗投遺跡で旧石器時代の石器が出土しています。縄文時代には青野遺跡などで土器片が出土し、味方遺跡や石原遺跡などで石器が出土しました。稲作農耕文化が伝えられて館遺跡で稲作が始まり、青野遺跡には集落跡が形成しました。
古墳時代、飛鳥時代
以久田野台地・久田山台地などを中心に古墳が築造されました。古墳時代前期には小西町成山古墳と味方町紫水が丘古墳が築造され、5世紀には聖塚・菖蒲塚古墳や私市円山古墳などが造営されました。やがて綾織りや紡織の技術を持つ漢部一族が支配し、江戸時代に漢部が転じて綾部と名付けられたとされます。

聖塚・菖蒲塚古墳
由良川中流域に築造された5世紀前半の大型方墳です。聖塚は全国的に最大規模を誇り、近い時代に築造された菖蒲塚とともに2代にわたる首長墓と考えられます。

私市円山古墳
5世紀半ばに築造された円墳です。墳丘は3段築成で斜面に河原石が敷き詰められました。古墳から3基の埋葬施設が見つかり、このうち2基から銅鏡などが見つかりました。
奈良時代、平安時代
律令体制の整備に伴い何鹿郡に属しました。青野遺跡は何鹿郡衙と考えられており、飛鳥時代から平安時代にかけて綾中廃寺が隣接していました。平安時代には皇室や京都の寺社領である上林荘や漢部御厨などの荘園が開かれました。
鎌倉時代、南北朝時代
建長4年(1252年)に勧修寺重房が上杉荘を与えられて上杉姓を名乗り、武士団を形成していきました。鎌倉時代末期に上杉重房の孫にあたる上杉清子が足利貞氏に嫁して足利尊氏・直義兄弟を生み、上杉氏は大いに栄えることになります。
室町時代、安土桃山時代
暦応元年(1338年)に足利尊氏が全国に安国寺を設置し、延文3年(1358年)に丹波安国寺が全国の首座となり足利尊氏の遺骨が納められました。天正7年(1579年)に羽柴秀長が綾部や福知山を攻略しました。羽柴秀吉から山家を与えられた谷衛友は、天正10年(1582年)に山家城を築城しました。
江戸時代
谷衛友は関ヶ原の戦いで西軍に属しましたが、細川幽斎・忠興親子のとりなしで所領を安堵されて山家藩を立藩しました。慶長6年(1601年)に上林地区に旗本の藤懸永勝が入り、寛永10年(1633年)に九鬼隆季が移封されて綾部藩を成立させるなど、数多くの大名や旗本の所領として細分化されました。安永6年(1777年)に山家藩7代藩主・谷衛秀が行者堂を建立しています。

正暦寺庭園
天慶5年(942年)に空也上人が開いた正暦寺には、江戸時代中期に綾部藩主である九鬼氏の支援により枯山水様式の庭園が造営されました。

照福寺庭園
照福寺には含勝庭、生々苑、真観庭の3種類の庭園があります。このうち含勝庭は、天保14年(1843年)に仙裔和尚が地元の山石が多く用いて作庭されました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治4年(1871年)の廃藩置県で綾部県を経て京都府に編入され、明治6年(1874年)に徴兵令などに反対した農民が明六一揆を起こしました。絹糸が日本の主要輸出品になると、明治29年(1896年)に波多野鶴吉が古くから盛んな蚕糸業に目を付けて郡是製糸株式会社(現グンゼ株式会社)を創業しました。明治38年(1904年)舞鶴線が開通して綾部駅が開設され、明治43年(1910年)に京都線(山陰線)が開通しました。昭和25年(1950年)に綾部市が誕生しました。
