福知山市

福知山市は京都府の北西部に位置し、由良川流域の福知山盆地に広がる市街地とその周囲の農山村地域で構成されます。市域は8割を山林が占め、由良川をはじめとする河川が貫流します。古くから北近畿の交通の要衝で、北近畿の商都として発展してきました。
概要
- 面積
- 552.54km2
- 人口
- 76,744人(2021年11月1日)
- 市の木
- ケヤキ、カシ、ヒノキ、ウメ
- 市の花
- キキョウ、サツキ、ハギ、レンゲツツジ、フジ
- 市の鳥
- ウグイス、キジ
- 地図
歴史
縄文時代の遺跡が点在しており、出雲、北近畿などへの交通の要所として栄えました。大江町には酒呑童子と呼ばれる京を荒らした鬼を退治した伝説が残ります。明智光秀が丹波を平定すると福知山城を改修し、城下町や堤防などを整備しました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
由良川の河岸段丘上や氾濫原などで旧石器時代の遺物が採集されていますが、遺構を伴うものは見つかりません。縄文時代創成期に武者ヶ谷遺跡や奥野部遺跡などで石器や土器が見つかり、荒堀遺跡では縄文時代早期から晩期の土器や石器が見つかりました。弥生時代中期には興遺跡で環濠集落が形成し、観音寺遺跡や日置遺跡から銅剣形石剣が出土しています。
古墳時代、飛鳥時代
古墳時代前期から中期の前方後円墳は景初四年銘鏡が出土した広峯15号墳のみで、前方後円墳以外の古墳として宝蔵山4号墳や八ヶ谷古墳などが見つかりました。古墳時代中期には大型円墳の私市円山古墳ほか、稲葉山1号墳を契機として三段池古墳群が形成しました。古墳時代後期は下山古墳群や額塚古墳群が豊富谷に形成したほか、中坂・仏山古墳群や牧古墳群が形成しました。

池の奥5号墳
由良川と土師川の合流点北方には、50基以上からなる池の奥古墳群が形成しています。5号墳は由良川流域で最大規模の円墳で、6世紀中頃に築造されたと考えられています。

長者森古墳
夜久野町大油子にある円墳で、唯一残る2号墳は長者森古墳と呼ばれています。6世紀後半に築造され、埋葬施設は板状の玄武岩を積み上げた両袖式横穴式石室です。

牧正一古墳
由良川流域の古墳時代後期を代表する前方後円墳で、交通の要所を押さえた首長の墓と考えられています。前方部と後円部の両方で横穴式石室が確認されています。
奈良時代、平安時代
都の北西の出入口にあたる交通の要衝で、白鳳時代に和久寺廃寺が創建したとされます。平安時代には貴族の荘園が置かれ、平安時代末期から鎌倉時代初頭にかけて末法思想の広まりで大道寺経塚が作られました。
酒呑童子伝説
大江山には酒呑童子と呼ばれる鬼が住んでいました。酒呑童子は茨木童子など多くの鬼を従え、京の都を荒らしまわりました。酒呑童子の退治を命じられた源頼光は、藤原保昌や家来の坂田金時、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光と大江山を目指しました。源頼光は道中で老翁から毒入りの酒を授かり、この酒を酒呑童子に飲ませて眠りに落ちたところを討ち取りました。酒呑童子伝説は江戸時代に歌舞伎や御伽草子の題材として扱われました。
鎌倉時代、南北朝時代
鎌倉時代から南北朝時代にかけて大内城古墓が築造され、常滑焼を使用した骨蔵器が見つかり、山田館跡では骨蔵器として使用された古瀬戸の瓶子が見つかりました。
室町時代、安土桃山時代
丹波国は有力な国人が割拠する状態で、小笠原長清の末裔といわれる塩見氏が福知山周辺を治めていました。天正7年(1579年)に織田信長の重臣・明智光秀が丹波国を平定すると、塩見信房の居城を修築して福知山城としました。天正10年(1582年)に明智光秀が山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れると、福知山城には杉原家次や小野木重勝らが入りました。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで小野木重勝は西軍に属して田辺城を攻めますが、西軍が敗北すると福知山城は開城しました。

福知山城跡
天正7年(1579年)に丹波を平定した明智光秀が築城しました。明治時代の廃城令で取り壊されましたが、昭和61年(1986年)に3層4階の天守が再建されました。

御霊神社
明智光秀は織田信長を倒した逆臣とされますが、福知山では由良川に堤防を築いて氾濫を防ぐなど名君として親しまれて御霊神社に合祀されています。
江戸時代
関ヶ原の戦い以降は有馬豊氏、岡部長盛、稲葉紀通、松平忠房と幾度も領主が代わりましたが、寛文9年(1669年)に朽木稙昌が入部して福知山藩を立藩し、明治維新まで朽木氏の支配が続きました。朽木氏の藩政は財政状況が悪く、領民による騒動がたびたび発生しました。
鰤と稲葉氏の改易
慶安元年(1648年)に藩主の稲葉紀通は宮津藩の京極高広に鰤を所望し、京極高広は他家へ贈与されないよう首を切り落とした鰤を贈りました。稲葉紀通はこれを挑発と受け止めて宮津藩の領民の首をはねて飛脚を狙撃しました。幕府は稲葉紀通を叱責して江戸への弁明を求めましたが、稲葉紀通は自害して福知山藩稲葉氏は改易されました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治4年(1871年)に福知山県から豊岡県を経て、明治9年(1876年)に京都府に編入されました。明治32年(1899年)に福知山線の前身となる阪鶴鉄道が開業し、明治37年(1904年)に舞鶴まで延伸され、大正12年(1923年)には河守炭鉱から産出した鉱石を運ぶため福知山と大江町に北丹鉄道が開業しました。鉄道の要衝として人口が増加し、昭和12年(1937年)に福知山市が誕生しました。昭和49年(1974年)に内陸工業団地として日本有数である長田野工業団地が完成・操業しています。
