ぶらり歴史旅

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

中魚沼郡

新潟県中魚沼郡のマウンテンパーク津南展望台

中魚沼郡は新潟県の最南端に位置する津南町のみで構成され、千曲川が信濃川と名を変える長野県境にあります。信濃川とこれに合流する志久見川・中津川・清津川の河川により雄大な河岸段丘を形成しています。冬期間が長く日本有数の豪雪地帯である一方、夏は北西の涼風に恵まれ高原のような爽やかな気候が続きます。

概要

面積
170.21km2
人口
8,445人(2023年9月1日)
含む町村
津南町
地図

歴史

苗場山麓の日本一の河岸段丘には縄文銀座と呼ばれるほど縄文遺跡が乱立しました。大宝律令の成立に伴い信濃国と越後国の国境に位置することとなり、戦国時代は武田氏と上杉氏が軍事的に衝突する緊張した時代を迎えましたが、秘境の秋山郷では伝統的な技術を継承しながら厳しい冬を越す生活を送りました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

苗場山麓の日本一の河岸段丘を形成しており、正面ヶ原D遺跡や加用中条A遺跡に旧石器時代の人の営みが残されています。縄文時代には縄文銀座と呼ばれるほど多くの縄文集落が形成され、多くの火焔型土器が作られました。縄文時代中期には沖ノ原遺跡に巨大な集落が形成しました。

新潟県十日町市の田代の七ツ釜

田代の七ツ釜

苗場山系から流れ出る釜川の渓流に点在する七つの滝つぼで、右岸が断面層、左岸が切り立った縦層という学術的にも大変珍しい景観です。

新潟県中魚沼郡の本ノ木・田沢遺跡群(本ノ木遺跡)

本ノ木・田沢遺跡群

信濃川と清津川の合流点付近に位置する縄文時代草創期の生活文化を示す遺跡群です。本ノ木遺跡は旧石器時代から縄文時代の始まりの変化に係る論争が起きました。

新潟県中魚沼郡の堂平遺跡

堂平遺跡

中津川右岸の河岸段丘に位置する縄文時代中期の遺跡です。多くの竪穴住居跡や環状列石が見つかり、火焔型土器と王冠型土器の2点がほぼ完全な形で出土しました。

新潟県中魚沼郡の沖ノ原遺跡

沖ノ原遺跡

信濃川と中津川に挟まれた段丘上にある縄文時代中期の遺跡です。竪穴住居跡49軒、長方形大形家屋跡3軒、敷石住居跡1軒が発見され、炭化した木の実のクッキーが出土しました。

古墳時代、飛鳥時代

古墳と断定できる盛り土や埋葬施設は見つかりません。

奈良時代、平安時代

大宝律令により越後国魚沼郡に属しました。古くから神聖な山として仰がれてきた苗場山は仏教と土着信仰が混ざり合う神仏習合が進み、稲作の豊穣を祈る山岳信仰としての苗場信仰を形成していきました。

鎌倉時代、南北朝時代

平安時代末期から赤沢台地を中心に津張荘が発達し、市河氏が越後国と信濃国の国境付近を支配しました。鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて新田一族が土着するようになりました。

室町時代、安土桃山時代

上杉氏が越後守護となり、越後国と信濃国の国境付近は秋山氏などの国人領主が統治しました。上杉謙信が強大な力で越後国を統一すると、市河氏や秋山氏などの領主は上杉謙信の支配下に入りました。上杉謙信は特産の越後縮を保護し、麻織物の神を祀る松芋神社に短刀や軍配を奉納したと伝えられます。

新潟県中魚沼郡の今井城跡

今井城跡

中津川の左岸にあり信濃川を一望する段丘面の突端に築かれています。善光寺街道の動きを監視する役割があり、上杉氏の番城として戦国時代末期まで使用されました。

江戸時代

信濃川の左岸を通る道は善光寺参りに使用するため、善行寺街道と名付けられました。越後国と信濃国の国境である寺石集落には口留め番所が置かれ、人や物資の出入りが厳しく監視されました。秋山郷では標高が高く稲作が困難なため、主食はアワ・ヒエなどの雑穀やトチの実で、天明・天保の大飢饉では集落が全滅するほどの甚大な被害を受けました。江戸時代後期には鈴木牧之が秋山郷を訪れて、過酷な生活を送る現実を秋山記行に書き残しました。

明治時代、大正時代、昭和時代

生糸が日本の輸出を支えるようになると、米が獲れにくい傾斜地や寒冷な気候を活かした養蚕が爆発的に普及しました。大正12年(1923年)から飯山鉄道が延伸し、越後外丸駅が開業していきました。昭和40年代から苗場山麓開発事業が進められ、アスパラガスやユリ、スイートコーンの名産地へと生まれ変わりました。