南足柄市

南足柄市は神奈川県の西端に位置し、最高峰の金時山を中心とする箱根外輪山と矢倉岳にのびる足柄山塊を両翼としています。狩川、内川の河谷平野と酒匂川の沖積層からなる西高東低の地形で、平坦地は足柄平野の一部を占めています。
概要
- 面積
- 77.12km2
- 人口
- 40,267人(2022年2月1日)
- 市の木
- サザンカ
- 市の花
- リンドウ
- 地図
歴史
古くから東国と西国を結ぶ重要な官道として足柄路が整備され、その難所である足柄峠には日本武尊が足柄明神を倒して東国を平定した伝説が残ります。街道の要衝として足柄関所が設けられたほか、足柄峠の街道筋や尾根に砦や城が設けられ、往来する人や物資が監視されました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
2万~3万年前の後期旧石器時代の黒曜石で作られた槍の破片などが出土しています。縄文時代には遺跡が増え、馬場遺跡や関本出口遺跡から縄文土器や竪穴式住居跡などが見つかりました。弥生時代には怒田上原遺跡などで条痕文土器が見つかり、静岡県や山梨県で出土している土器と共通性が見られています。
古墳時代、飛鳥時代
6世紀以降に黄金塚古墳群や塚田二号墳などの円墳が築造されました。

足柄明神
足柄峠には日本武尊が足柄明神の化身である白鹿を蒜で打ち殺したことで東国が平定された伝説が残ります。
奈良時代、平安時代
関本から足柄峠へ抜ける道は足柄道や足柄路と呼ばれました。9世紀初めの富士山の噴火で通行不能となりましたが、1年かけて道が補修されて再び人が往来するようになり、昌泰2年(899年)には太政官府により足柄関が設けられました。治承4年(1180年)に伊豆に流されていた源頼朝は平家打倒の兵を挙げましたが、石橋山の戦いに敗れて箱根山中を彷徨いました。

足柄関所跡
鎌倉時代に箱根道が開かれるまでは公道として利用され、東海道最大の難所として知られていました。首供養塚は盗賊や関所破りが処刑されて、さらし首にされました。
鎌倉時代、南北朝時代
鎌倉時代に波多野氏の一族である河村氏と足柄氏が支配するようになりました。河村氏は山北町から南足柄市にかけて成立した河村郷を本拠とし、足柄氏は足柄峠の周辺を支配しました。
室町時代、安土桃山時代
大森氏が岩原城を居城として南足柄一帯を支配しましたが、後北条氏が支配するようになり、後北条氏の家臣・松田氏の浜居場城や西方警備の要である足柄城などが築かれました。当時の領主たちは東西の交通を制限するために苦心し、足柄峠を中心として南北の尾根上に砦、街道筋に城を配置しました。

足柄城跡
天文24年(1555年)に北条氏康が築城しました。天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐で戦うことなく開城し、廃城となりました。
江戸時代
足柄平野を穀倉地帯とするために酒匂川に土手が築かれました。箱根に東海道五十三次の関所が整備されたことで、これまで交通の要衝として機能していた足柄道は東海道の裏往還である矢倉沢往還として整備され、矢倉沢には矢倉沢関所が設けられました。江戸時代中頃に富士山が噴火し、大口や岩流瀬の土手が決壊して流域の村が押し流されました。8代将軍徳川吉宗は南町奉行大岡越前守に命じて川崎宿の名主・田中丘隅に土手の復旧を行わせました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治22年(1889年)に東海道線(現在の御殿場線)が開通し、明治33年(1900年)には国府津、湯本間に鉄道が開通しました。大正10年(1921年)には足柄自動車(現在の箱根登山バス)の運行が始まり、大正14年(1925年)には大雄山線が開通しています。昭和2年(1927年)には小田急線が新宿から小田原まで開通しました。昭和47年(1972年)に南足柄市が誕生しました。
矢倉岳から金時山
丹沢と箱根の間に位置する矢倉岳は、円錐状の特徴的な山容をしています。足柄峠を越える旅人を見張る櫓のような立ち位置から矢倉岳と呼ばれるようになりました。矢倉岳一帯に広がる黒い土の層は、宝永4年(1707年)の富士山噴火に伴う大量のスコリアです。
- 山行日
- 2005/4/13
- 天 候
- 曇り
- ルート
- 矢倉沢(9:30)~矢倉岳山頂(10:55)、矢倉岳山頂(11:05)~山伏平(11:15)~足柄万葉公園(11:50)、足柄万葉公園(12:30)~足柄峠(12:40)~猪鼻砦(13:45)~金時山山頂(14:25)、金時山山頂(14:55)~金時山登山口(14:45)
- 地 図
- 山と高原地図「箱根」
- 同行者
- 単独
- 標 高
- 矢倉岳(1304m)、金時山(1212.5m)

矢倉岳
足柄平野から足柄山地を見上げて、ひときわ目立つ特徴的な円錐形をした山です。矢倉岳の山頂付近はヒノキ林で、山頂付近からは富士山や相模湾が見渡せます。

猪鼻砦跡
金時山から足柄峠、定山から新柴へと続く尾根道を押さえる目的で築かれ、足柄城の南方を守備する砦として重視されていました。

金時山
金太郎のモデルである坂田金時が山姥に育てられたと言われている山です。山頂にある金時茶屋には芳名帳があり、百回以上の登頂で茶屋内に名前が貼られるそうです。
