小田原市

小田原市は神奈川県の南西部に位置し、南西部は箱根連山に連なる山地、東部は曽我丘陵と呼ばれる丘陵地帯です。中央を流れる酒匂川が足柄平野を形成して相模湾に注ぎます。相模湾に流れ込む黒潮の影響で、夏は涼しく冬は暖かい気候です。小田原蒲鉾や小田原ひものなどの名産品と小田原漆器や箱根寄木細工、小田原提灯、小田原鋳物などの伝統工芸品があります。
概要
- 面積
- 113.81km2
- 人口
- 187,864人(2022年2月1日)
- 市の木
- クロマツ
- 市の花
- ウメ
- 市の鳥
- コアジサシ
- 市の魚
- メダカ、アジ
- 地図
歴史
旧石器時代から人の営みがある地域で、平安時代には伊豆国で挙兵した源頼朝が平家方と戦いました。戦国時代には北条早雲が小田原城を攻略して城下町として発展し、江戸時代に東海道屈指の宿場町として栄えました。明治時代には温暖な気候で政財界人や文化人たちの別荘地・保養地として愛されてきました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
箱根外輪山から足柄平野へと延びる谷津丘陵や八幡山丘陵、荻窪丘陵、久野諏訪の原丘陵などの箱根東麓の丘陵先端部で、谷津山神遺跡や愛宕山遺跡など旧石器時代の遺跡が6つ発見されています。愛宕山遺跡からは縄文時代早期の炉穴のほか、縄文時代前期の土器や弥生時代の住居跡が見つかりました。小田原遺跡からは多くの弥生土器の壺や甕の破片、石器が発見され、谷津岩月遺跡からは弥生時代後期の環濠集落跡が見つかりました。
古墳時代、飛鳥時代
足柄平野を支配した師長国造や有力者が古墳や横穴墓を築造し、谷津金ノ台遺跡から3世紀末の前方後円墳や1基の竪穴状遺構と44基の土坑が検出されました。千代南原遺跡では古墳時代前期の鍛冶関連遺物が出土し、古墳時代後期には久野丘陵上には県内最大の円墳である久野1号古墳を含む古墳群が形成されています。
奈良時代、平安時代
律令体制が整備されて、大半が相模国足下郡に属しました。永塚遺跡及び下曽我遺跡では多くの墨書土器が出土し、役所等に関係する井戸や石敷道路の跡が確認され、この周辺に足下郡の役所である郡家が存在したと考えられています。千代廃寺からは塼仏や螺髪などの仏教関連遺物が見つかりました。治承4年(1180年)に配流先の伊豆国で挙兵した源頼朝は石橋山の戦いで平家方の大庭景親らに敗れ、真鶴から安房国に逃れました。

石橋山古戦場のうち与一塚及び文三堂
伊豆国で挙兵した源頼朝は石橋山の戦いで平家方の大庭景親らに敗れました。佐奈田与一義忠とその家臣文三家康が討死し、与一塚と文三堂に祀られました。
鎌倉時代、南北朝時代
鎌倉幕府が成立すると、酒匂に浜辺御所が設置されました。建久4年(1193年)に曽我兄弟が親の仇として工藤祐経を殺害しました。13世紀中頃に国府津から足柄峠を経由する東海道は、箱根峠を越える街道に移りました。
室町時代、安土桃山時代
応永16年(1409年)に鎌倉公方となる足利持氏は、執事の犬懸上杉氏憲と領地問題で対立しました。犬懸上杉氏憲は幕府に対して挙兵して敗北する乱を起こし、これを契機に駿河駿東郡の大森頼春が進出して、応永25年(1418年)頃に小田原城を築きました。永享4年(1432年)に鎌倉公方・足利持氏が大森氏に対して、小田原関所の関賃を鶴岡八幡宮の修理に充てるように命じています。
北条早雲と後北条氏
明応4年(1495年)に韮山城を拠点としていた北条早雲が小田原城を陥れ、小田原を本拠とした北条氏綱が小田原の都市整備を進めていきました。永禄4年(1561年)の上杉謙信による侵攻、永禄12年(1569年)の武田信玄の侵攻が興りましたが、小田原城は落城することはありませんでした。後北条氏は5代北条氏直の時代に下野国や常陸国まで領土を広げましたが、天正18年(1590年)に豊臣秀吉に降伏して徳川家康の家臣・大久保忠世が小田原城主となりました。

小田原城
大森氏が八幡山に築いた山城で、北条早雲が攻略して北条氏の居城となりました。天正18年(1590年)までには総延長9キロメートルの最大規模の総構を形成しました。

石垣山
天正18年(1590年)に豊臣秀吉は水陸15万の大群を率いて包囲しました。笠懸山は本陣として総石垣の城が築かれ、石垣山と呼ばれるようになりました。
江戸時代
慶長19年(1614年)に大久保忠隣改易されて小田原城は番城になり、以降は主阿部正次、稲葉正勝、大久保忠朝らが藩主を務めました。宝永4年(1707年)の大地震と富士山大噴火、天明2年(1782年)の大地震により甚大な被害を受け、一部の村が天領と交換されました。享和2年(1802年)に川口広蔵らが湯本堰(荻窪堰)を完成し、天保13年(1842年)には小田原領内77か村が再建のため二宮尊徳の指導を受けることを藩に願い出ました。嘉永6年(1853年)には小田原地震が起こり大きな被害を受けました。

江戸城石垣石丁場跡
慶長8年(1603年)から寛永13年(1636年)にかけて行われた江戸城改修に伴う公儀御普請で用いる石垣の石材を採石、加工した石丁場の跡です。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治4年(1871年)小田原県が置かれたあと、小田原県と韮山県が合併して足柄県となりました。明治20年(1887年)新橋-国府津間に鉄道が開通、明治21年(1888年)に国府津-小田原-湯本間に開通した馬車鉄道は、明治33年(1900年)に電車が開通しました。大正12年(1923年)の関東大震災で大きな被害を受けつつも、大正14年(1925年)に小田原-関本間に大雄山鉄道が開通し、昭和2年(1927年)新宿-小田原間に小田急線が開通しました。昭和15年(1940年)に小田原町、足柄町、大窪村、早川村、酒匂村の一部が合併して小田原市が誕生し、昭和20年(1945年)に空襲被害を受けましたが、昭和39年(1964年)に東海道新幹線小田原駅が開業など発展を遂げています。
