バチカン市国

バチカン市国はイタリアの首都ローマに囲まれる世界一小さな国家です。1929年にムッソリーニがラテラノ条約を締結して国家になりました。サン・ピエトロ大聖堂を中心としており、カトリックの総本山として絶大な権威を誇ります。バチカン市国は全域が世界遺産に登録されています。
概要
- 首都
- バチカン
- 面積
- 約0.44km2
- 人口
- 615人(2018年10月)
- 通貨
- ユーロ
チップの義務はありませんが、レストランなどで10%程度用意すると良いです。 - 言語
- 公用語はラテン語で、外交用にはフランス語、通常業務ではイタリア語を使うことが多いです。
- 時差
- 日本との時差はマイナス8時間。イタリアの10時が日本では18時になります。
3月の最終日曜日から10月の最終土曜日までのサマータイム実施時はマイナス7時間差です。 - 気候
- 地中海性気候に属して夏は雨が少なく乾燥し、湿度が低く乾燥しています。冬は雨の日が多くなりますが、比較的温暖で一年を通じて過ごしやすい気候です。日本と同様に四季がありますが、6月から9月は乾季となります。
- 電気系統
- 電圧は220V、周波数50Hz、プラグはCタイプ。
- 地図
特集
歴史
バチカンはカトリック総本山で、殉教した聖ペテロの墓地に建てられたされるサン・ピエトロ大聖堂を中心としています。20世紀にバチカン市国として独立国家となり、ローマ法王が国を統治しています。1984年に国そのものがバチカン市国として世界遺産に登録されました。
キリスト教と聖ペトロ
紀元前753年に7つの丘に古代ローマが形成しましました。かつてバチカンは人があまり住んでいないローマの郊外であり、ローマ皇帝ネロは競技場を建設しました。ネロはキリスト教の弾圧に踏み切ると、67年に見せしめのためネロの競技場でキリストの一番弟子ペトロを逆さ十字刑で処刑しました。
カトリックの本拠地
キリスト教を保護したコンスタンティヌス帝は、326年に聖ペトロの墓地として教会堂を建立しました。4世紀末にキリスト教がローマ帝国の国教になると、バチカンはカトリック最高位ローマ教皇の本拠地となりました。395年にローマ帝国が東西に分裂して、476年にゲルマン人の侵入により西ローマ帝国が崩壊したことでローマ教皇も衰退しますが、756年にフランク王国カール大帝の孫ピピンがローマ教皇にラヴェンナなどの都市を寄進して教皇領を得たことでバチカンは莫大な収入を得て繁栄しました。

バチカン市国
326年にコンスタンティヌス帝は聖ペトロの墓地として教会堂を建立し、カトリック最高位ローマ教皇の本拠地となりました。

サン・ピエトロ広場
フランク王国カール大帝の孫ピピンが756年にローマ教皇にラヴェンナなどの都市を寄進して教皇領を得て繁栄するようになりました。
サン・ピエトロ大聖堂の改築
16世紀になると教皇ユリウス2世が新しい聖堂の建立に着手し、ルネサンスからバロック時代の17世紀までブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロ、ベルニーニなど多くの芸術家が携わり現在の姿になりました。

サン・ピエトロ大聖堂ピエタ像
ミケランジェロが24歳のときに製作したもので、教皇ユリウス2世はこのピエタ像を大変気に入り、自分の記念碑をミケランジェロに頼んだと言います。

主祭壇
サン・ピエトロ大聖堂の主祭壇はバルダッキーノと呼ばれています。主祭壇は9年間かけて製作され、ペトロの墓のうえに建てられました。
バチカン市国の建国
バチカンはヨーロッパ情勢に大きな影響を受けながら繁栄と衰退を繰り返しました。1527年のローマの劫掠では、神聖ローマ帝国カール5世によりバチカンが攻められて破壊されました。1870年に普仏戦争が始まるとイタリアが統一されて教皇領がイタリア王室に没収されることになりました。これを拒否し教皇ピウス9世はバチカンの囚人と称して、1870年~1929年までバチカンに引きこもりました。ピウス11世の時代に教皇の全権代理ガスパッリ枢機卿とムッソリーニ首相の間でラテラノ条約が結ばれ、バチカンは独立国家として存続することになりました。

バチカン衛兵
神聖ローマ帝国カール5世に攻められたときスイス人衛兵が身を挺して法王を守り抜いたことから現在でもスイス人衛兵がバチカンを守ります。

サン・ピエトロ大聖堂
教皇の全権代理ガスパッリ枢機卿とムッソリーニ首相の合議が成立してラテラノ条約が結ばれ、バチカンは独立国家となりました。
日本とバチカンの関係
1549年にフランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝え、1585年には九州のキリシタン大名が伊東マンショらをバチカンに派遣しました。伊東マンショら天正遣欧少年使節は教皇グレゴリウス13世や教皇シスト5世に拝謁し、1615年には伊達政宗が派遣した支倉常長ら慶長遣欧使節が教皇パウロ5世に拝謁しました。江戸幕府の禁教令と鎖国令により交流は断絶しましたが、1857年に鎖国令が解除され、1873年に禁教令が撤廃されたことで日本でのカトリック宣教も盛んになりました。

フランシスコ・ザビエル
1549年に鹿児島に上陸して日本にキリスト教を伝えました。わずか2年の布教で日本を離れて中国を目指しましたが、広東省沖ノサンシャン島で病死しました。

バチカン市国
1942年に日本とバチカンの国交が樹立しました。それから良好な関係を続け、1958年には日本公使館が大使館に格上げされました。
